オーギュスト・トゥールムーシュ

オーギュスト・トゥールムーシュ
Auguste Toulmouche


fr
誕生日 (1829-09-21) 1829年9月21日
出生地 フランス王国 ロワール=アトランティック県ナント
死没年 (1890-10-16) 1890年10月16日(61歳没)
死没地 フランスの旗 フランス共和国
国籍 フランスの旗 フランス
運動・動向 アカデミズム絵画
芸術分野 絵画
教育 シャルル・グレール画塾
受賞 レジオンドヌール勲章
影響を受けた
芸術家
シャルル・グレール
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オーギュスト・トゥールムーシュAuguste Toulmouche, 1829年9月21日 - 1890年10月16日)は、フランス画家

生涯

1829年、ナントで、父エミール・トゥールムーシュと母Rose Sophie Mercierとの間に生まれた。父は商人で、裕福なブルジョワであった[1]

シャルル・グレールの画塾で学んだ、アカデミズム絵画の画家である。

グレールのお気に入りの弟子となり[2]、19歳の1848年にサロン・ド・パリに初めて出展した[3]。1849年と1850年にもサロンに出展し人物画を専門とするようになり[2]、パリのブルジョアの女性の肖像をしばしば描いた[3][4]

彼の絵はフランスやアメリカ合衆国で人気となり、1852年に皇帝ナポレオン3世が婚約者のウジェニー・ド・モンティジョに贈るためにトゥールムーシュの作品が買い上げられた[4] 。1852年と1861年にサロンで賞を得た。

1861年、クロード・モネの親戚に当たるマリー・ルカードルと結婚した。モネがパリに出てくるに際し、シャルル・グレールの画塾で勉強するよう勧めた。

1870年の普仏戦争ではパリ防衛の大隊に参加した[2]。1870年にレジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受勲した[3]。戦争の後はナント近くのAbbaye Notre-Dame de Blanche-Couronneで暮らし アレヴィ(Geneviève Halévy), ジョゼ・マリア・ド・エレディア(José-Maria de Heredia)、ポール・ボードリーイグナツィ・パデレフスキなどのパリの友人が訪れた。

1890年に亡くなり、パリのモンパルナス墓地に埋葬された。

作品

  • 『青いドレス』
    『青いドレス』
  • 『室内の若い女性』
    『室内の若い女性』
  • 『虚栄』
    『虚栄』
  • 『無為』
    『無為』
  • 『静かな午後』
    『静かな午後』
  • 『図書室にて』
    『図書室にて』
  • 『手紙』
    『手紙』
  • 『不本意な花嫁』1866年
    『不本意な花嫁』1866年
  • 『手鏡』1868年
    『手鏡』1868年
  • 『手紙』1883年
    『手紙』1883年
  • Consolation
    Consolation
  • Lost Love
    Lost Love

脚注

  1. ^ Jean-Michel LE CADRE. “Biographie”. 2017年1月21日閲覧。
  2. ^ a b c "Biographie". Auguste Toulmouche (1829-1890). (Biography of Toulmouche in French).
  3. ^ a b c Matthews, Mimi. "Art and Inspiration: The Paintings of Auguste Toulmouche". Mimi Matthews website.
  4. ^ a b Whitemore, Janet. "Auguste Toulmouche 1829-1890". Rehs Galleries website.
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