フランシスコ1世 (ナバラ王)
フランシスコ1世 Francisco I | |
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ナバラ国王 | |
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在位 | 1479年 - 1483年 |
戴冠式 | 1481年、パンプローナ |
別号 | フォワ伯 |
出生 | (1467-12-04) 1467年12月4日 ベアルン |
死去 | (1483-01-07) 1483年1月7日(15歳没) ベアルン、ポー |
埋葬 | レスカー大聖堂 |
家名 | フォワ家 |
父親 | ビアナ公ガストン・ド・フォワ |
母親 | マドレーヌ・ド・フランス |
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フランシスコ1世(Francisco I de Foix, 1467年12月4日 - 1483年1月7日)はナバラ王(在位:1479年 - 1483年)およびフォワ伯(在位:1472年 - 1483年)。フランシスコ・フェボ(Francisco Febo)とも呼ばれる[1]。フランス語名はフランソワ・フェビュス(François Phébus または Fébus)。
生涯
父はフォワ伯ガストン4世とナバラ女王レオノールの長男であるビアナ公ガストン・ド・フォワ。母はフランス王シャルル7世の娘マドレーヌ。父が早世したため、祖父の死後にフォワ伯を、祖母の死後にナバラ王を継承したが、幼年のため母マドレーヌが摂政を務めた[1]。成人せずに早世したため[2]、妹カタリナ(カトリーヌ)が継承者となった。
脚注
- ^ a b バード、p. 130
- ^ 結核、あるいは毒殺ともいわれる(バード、p. 131)。
参考文献
- レイチェル・バード 『ナバラ王国の歴史』 彩流社、1995年
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イニゴ家 | イニゴ・アリスタ824-851 / ガルシア・イニゲス851-882 / フォルトゥン・ガルセス882-905 |
ヒメノ家 | サンチョ1世ガルセス905-925 / ヒメノ・ガルセス925-931 / ガルシア1世サンチェス931-970 / サンチョ2世ガルセス970-994 / ガルシア2世サンチェス994-1004 / サンチョ3世ガルセス1004-1035 / ガルシア3世サンチェス1035-1054 / サンチョ4世ガルセス1054-1076 / サンチョ5世ラミレス1076-1094 / ペドロ1世1094-1104 / アルフォンソ1世1104-1134 / ガルシア・ラミレス1134-1150 / サンチョ6世1150-1194 / サンチョ7世1194-1234 |
シャンパーニュ家 | テオバルド1世1234-1253 / テオバルド2世1253-1270 / エンリケ1世1270-1274 / フアナ1世1274-1305 |
カペー家 | フェリペ1世1284-1305 / ルイス1世1305-1316 / フアン1世1316 / フェリペ2世1316-1322 / カルロス1世1322-1328 / フアナ2世1328-1349 |
エヴルー家 | フェリペ3世1328-1343 / カルロス2世1349-1387 / カルロス3世1387-1425 / ブランカ1世1425-1441 |
トラスタマラ家 | フアン2世1425-1479 / カルロス4世(王位請求者)1441-1461 / ブランカ2世(王位請求者)1461-1464 / レオノール1479 |
フォワ家 | フランシスコ1世1479-1483 / カタリナ1483-1517 |
アルブレ家 | フアン3世(共同王)1484-1516 / エンリケ2世1517-1555 / フアナ3世1555-1572 |
ブルボン家 | アントニオ(共同王)1555-1562 / エンリケ3世1572-1610 / ルイス2世1610-1620 / フランス王位へ統合 |
トラスタマラ家 | フェルナンド1512-1516 / フアナ1516-1555 / スペイン王位へ統合 |
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