ミンスエ
ミンスエ မြင့်ဆွေ Myint Swe | |
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生年月日 | (1951-06-24) 1951年6月24日(72歳) |
出生地 | ビルマ連邦、マンダレー |
出身校 | ビルマ国軍士官学校 |
現職 | 大統領代行、第一副大統領 |
所属政党 | 連邦団結発展党 |
称号 | ミャンマー国軍中将 |
配偶者 | Khin Thet Htay |
在任期間 | 2021年2月1日 - |
国家行政評議会議長 | ミン・アウン・フライン |
在任期間 | 2018年3月21日 - 2018年3月30日 |
国家顧問 | アウンサンスーチー |
内閣 | ティンチョー内閣 ウィンミン内閣 (アウンサンスーチー政権) |
在任期間 | 2016年3月31日 - |
大統領 | ティンチョー ウィンミン |
国家顧問 | アウンサンスーチー |
ヤンゴン管区首相 | |
在任期間 | 2011年3月30日 - 2016年3月30日 |
大統領 | テイン・セイン |
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ミンスエ(ビルマ語: မြင့်ဆွေ、ALA-LC翻字法: Mraṅʻ' Chve、ビルマ語発音: [mjɪ̰n sʰwè]、慣用ラテン文字転写: Myint Swe、1951年6月24日 - )は、ミャンマーの政治家、軍人。同国大統領代行、第一副大統領。
2018年3月21日より同30日まで大統領代行を務める。現在、2021年2月1日に発生した軍事クーデターによって身柄を拘束されたウィンミンに代わり、再び大統領代行を務める。
概要
モン族出身。1971年にビルマ国軍士官学校を卒業後、ヤンゴン軍区11師団師団長、ヤンゴン軍区司令、ヤンゴン管区首相を歴任した[1]。
2012年には副大統領候補に選ばれたが、彼の義理の息子がオーストラリア市民権を持っていたことがわかり、立候補を却下された。なお、義理の息子はその後オーストラリア市民権を放棄し、ミャンマー国籍を取得したらしい[2]。
2016年3月15日、ティンチョーが大統領に選出された際、ミンスエは他の一人ヘンリーバンティオと共に副大統領に選出された。大統領が辞職、死亡した場合などに一時的に大統領代理となる。軍政期に長期独裁を担ったタンシュエとの関係が深いとされ、米国の経済制裁リストにも名前が載っている[3]。2018年3月21日から30日にかけて、ティンチョーの辞任に伴い暫定大統領に就任[4]。
2021年2月1日に国軍が企図したクーデターによりウィンミン大統領ら政府首脳が身柄を拘束され、軍出身で第一副大統領のミンスエが大統領代行に就任し、1年間の非常事態宣言を発令した(2021年ミャンマークーデター)[5]。
脚注
- ^ “缅甸前陆军中将吴敏瑞被提名副总统” (中国語). CRJ online (2012年7月11日). 2013年6月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月20日閲覧。
- ^ “Myint Swe: Myanmar elects a notorious blacklisted former general as vice-president”. Sydney morning helard. 2016年3月12日閲覧。
- ^ “ミャンマー スーチー氏側近、大統領に 半世紀ぶり文民”. 毎日新聞. 2019年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月12日閲覧。
- ^ “ミャンマー大統領が辞任 7日以内に後任選出”. 日本経済新聞 (2018年3月21日). 2018年3月21日閲覧。
- ^ “Myanmar gov't declares 1-year state of emergency: President's Office”. 新華社. (2021年2月1日). http://www.xinhuanet.com/english/2021-02/01/c_139712581.htm 2021年2月1日閲覧。
関連項目
公職 | ||
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先代 ティンチョー | ミャンマー連邦共和国大統領 代行:2018年3月21日 - 2018年3月30日 | 次代 ウィンミン |
先代 ウィンミン | ミャンマー連邦共和国大統領 代行:2021年2月1日 - | 次代 現職 |
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2021年ミャンマークーデター以降、ミャンマーでは国家行政評議会と国民統一政府が並立しているため、同時期に複数の人物が大統領として併存している。 | |
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