中村俊一

なかむら しゅんいち
中村俊一
生年月日 (1926-01-04) 1926年1月4日
没年月日 (1980-11-25) 1980年11月25日(54歳没)
出生地 日本の旗日本神奈川県横浜市[1]
職業 演出家俳優
活動期間 1955年 - 1980年[要出典]
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中村 俊一(なかむら しゅんいち、1926年大正15年)1月4日 - 1980年昭和55年)11月25日[1])は、日本演出家俳優、劇団「仲間」主宰者[1]

人物

神奈川県横浜市生まれ[1][2]松尾鉱業の2代目社長中村正雄の長男[2][3]。父方の祖父は松尾鉱業、太洋鉱業、増田屋各社長などをつとめた中村房次郎[4]。母方の祖父は日本の社会主義運動の先駆者で、早稲田大学野球部を創設したことでも知られる安部磯雄で、母・京はその次女である[2]

1945年早稲田大学文学部国文科を中退[1]千田是也の知遇を得て俳優講習所に学び、俳優座に入団[1]。演出助手や舞台監督、養成所の講師を経て、俳優座の養成所の2期生と共に1953年劇団仲間を結成した。主宰者となる。

父が経営していた岩手県松尾鉱山には、大きな劇場が2つあり、内装や照明などは俊一の意見を取り入れて作られた[2]新東宝が映画『思春の泉』を松尾鉱山のお膝元である田頭村 (岩手県)で撮影する為、松尾鉱業社長の息子である中村が主催する劇団仲間に協力を依頼、これが劇団仲間の最初の仕事となった[3]。そのため、劇団仲間の旗揚げ公演はロケ前夜祭として松尾鉱山で行われた[2][3]1955年にヴァイゼンボルン作「三人の紳士」で演出を担当し、芸術祭奨励賞を受賞した。1980年11月25日に心筋梗塞のため死去[2]

演出家だけでなく俳優として、NHKおはなはん」、「あしたこそ」「風の隼人」、TBS「ありがとう」、映画「トラ・トラ・トラ!」などに出演。

後任

中村の死後、その持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。

出演作品

テレビドラマ

  • NECサンデー劇場「三好十郎追悼番組 地勢」(1959年12月13日、NET)
  • ドキュメンタリードラマ「指名手配 第25回 白い鞘」(1960年、NET)
  • 愛の涯(1961年、NTV)
  • お気に召すまま 第3話「天才の秘密」(1962年、NET)
  • 連続テレビ小説おはなはん」(1966年、NHK)
  • 銀河ドラマ朱鷺の墓」(1970年、NHK) - 森戸院長
  • ありがとう(1970年、TBS) - 洞外大介
  • 日本怪談劇場 第11話「怪談 耳なし芳一」(1970年、12ch)- 和尚十念
  • 若い!先生(1974年、CX) - 校長
  • 夏の光に…(1980年10月24日、NHK) - 松本

映画

吹き替え

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f 中村 俊一とはコトバンク。2022年11月2日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 松尾鉱山資料館の展示説明から
  3. ^ a b c 伊藤巴子 著「やりたい事をやって逝ってしまった中村俊一」、日本演出家協会(編) 編『戦後新劇 演出家の仕事2』れんが書房新社、2007年5月25日、278-285頁。 
  4. ^ 『人事興信録 第14版 下』ナ105頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年11月2日閲覧。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。

関連項目

外部リンク

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