坂本 森一(さかもと しんいち、1883年〈明治16年〉1月7日[1] - 1947年〈昭和22年〉9月18日)は、内務官僚、函館市長。
経歴
下谷区(現在の台東区)の谷中墓地にある茶店おもだかやの店主坂本勝太郎の長男として生まれる。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、翌年に文官高等試験に合格。1911年(明治44年)より群馬県警部、利根郡長、佐波郡長、群馬県理事官を務めた。さらに岐阜県警察部長、兵庫県警察部長、大阪府警察部長、愛知県内務部長を歴任し、1924年(大正13年)には台湾総督府警務局長に就任した。
1929年(昭和4年)、函館市長に選出され、市の長年の懸案であった函館水電買収問題に取り組んだが、最終的な解決には至らなかった[2]。1934年(昭和9年)、函館大火が発生すると復興に尽力した。1935年(昭和10年)には函館開港77周年を記念して開港記念日を制定、函館港まつりを開催した[2][3]。
1946年(昭和21年)、地方自治法施行前に公選によって行われた市長選挙で当選し再び市長に任命され[4]、翌年の地方自治法施行に伴う市長選挙でも当選したが、同年9月現職のまま死去。
公選函館市長に就任したときに嬉しさのあまり連絡船を待てず漁船に乗って市内海岸町に上陸したとの逸話も残っている。第1次吉田内閣入りを断ってでもなりたかったようで、共愛会館での記者会見では「(内閣の)大臣になったよりも嬉しい」と語った[5]。
栄典
脚注
- ^ 『人事興信録』
- ^ a b 『函館市誌』
- ^ 函館市史 通説編第4巻 p677-p681
- ^ 功刀俊洋「1946年の市長公選運動(4)」『行政社会論集』第9巻第2号、福島大学、1997年1月、84-105頁、CRID 1050845762457710080、hdl:10270/634、ISSN 0916-1384。 地方自治法施行前のため内務大臣の資格審査を経て同大臣から任命を受けている(『函館市史』通説編第4巻、2002年、137-141頁)。
- ^ 我が街 はこだてタウン誌50年 p86
- ^ 『官報』第3707号「叙任及辞令」1924年12月29日。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第10版(下)』人事興信所、1934年。
- 『函館市誌』函館日日新聞社、1935年。
- 函館市史 通説編第4巻
- タウン誌「街」編集室編『我が街 はこだてタウン誌50年』 2013年
公職 |
先代 木村英俊 | 函館市長 官選4代:1929年 - 1937年 | 次代 斎藤与一郎 |
先代 登坂良作 | 函館市長 官選7代:1946年 - 1947年 | 次代 - |
先代 - | 函館市長 公選初代:1947年 | 次代 宗藤大陸 |
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1973年12月1日編入 | |
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官選 | 区長(区制施行前) | - 常野正義1879.10-1880.12
- 林悦郎1885.10-1886.12
- 二木彦七1886.12-1890.2
- 添田弼1890.2-1891.1
- 椎原国太1891.1-1891.8
- 曽我部道夫1891.8-1892.1
- 財部羌1892.11-1896.7
- 龍岡信熊1896.7-1897.11
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区長(区制施行後) | - 林悦郎1900.1-1903.4
- 末弘直方1903.9-1904.9
- 山田邦彦1905.3-1909.4
- 竹内与兵衛1909.11-1910.8
- 北守政直1910.11-1916.11
- 渋谷金次郎1916.12-1919.3
- 黒金泰義1919.9-1920.6
- 西岡実太1921.7-1922.7
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市長 | - 小浜松次郎1923.7-1924.8
- 佐藤孝三郎1924.11-1928.11
- 木村英俊1929.1-1929.8
- 坂本森一1929.12-1937.12
- 齋藤與一郎1938.5-1942.5
- 登坂良作1942.6-1946.5
- 坂本森一1946.8-1947.4
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公選 | - 坂本森一1947.4-1947.9
- 宗藤大陸1947.11-1955.4
- 吉谷一次1955.5-1967.5
- 矢野康1967.5-1983.5
- 柴田彰1983.5-1986.5
- 木戸浦隆一1986.5-1999.4
- 井上博司1999.4-2007.4.26
- 西尾正範2007.4.27-2011.4.26
- 工藤壽樹2011.4.27-2023.4.26
- 大泉潤2023.4.27-
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