山田元益
この項目では、山田新右衛門と称した人物について説明しています。山田新次郎と称した人物については「山田景隆」をご覧ください。 |
凡例 山田 元益 | |
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時代 | 戦国時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 永禄3年5月21日(1560年6月14日)[1] |
別名 | 新右衛門尉、新左衛門尉?[1] |
墓所 | 妙源寺[1] |
主君 | 今川義元 |
父母 | 山田長益[1] |
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山田 元益(やまだ もとます)は、戦国時代の武将。通称新右衛門尉。今川義元に仕え、岡崎城代を務めた[1]。
略歴
駿河国で山田長益の次男として生まれる。今川氏に臣従した岡崎城主・松平元康(後の徳川家康)が駿府に常駐していたため、城代として岡崎城に置かれた。
天文22年(1553年)、在三河の松平氏被官が元益と糟屋備前守に対して、桜井寺の山林の扱いについて伺いを立てている[2]。また、家康が15歳の時、祖先の法要のために初めて岡崎に下向した際、家康は若年を理由に元益のいる本丸には入らず、謙遜して二の丸に入城した。この事を聞いた義元は「分別に富んだ少年だ」とその振る舞いを称賛している[3]。
永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いでも岡崎城にあったが、義元戦死の報に接すると出陣して桶狭間に駆けつけ、合戦2日後に同地で従類らとともに討死した[1]。
登場作品
- テレビドラマ
脚注
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参考文献
- 中村孝也『家泰の族葉』碩文社、1997年。ISBN 978-4-88200-303-8。
- 桑田忠親『日本合戦全集』 4巻、秋田書店、1973年。
- 岡崎市『岡崎市史』 上巻、名著出版、1972年。
- 参謀本部『日本戦史』 桶狹間役、村田書店、1978年。
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