杉村太蔵

杉村 太蔵
すぎむら たいぞう
生年月日 (1979-08-13) 1979年8月13日(44歳)
出生地 日本の旗 日本北海道旭川市
出身校 筑波大学体育専門学群中退
慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科単位取得満期退学
前職 国会議員
現職 実業家
コメンテーター
政治評論家
所属政党 (自由民主党→)
たちあがれ日本→)
無所属
配偶者 あり

選挙区 比例南関東ブロック
当選回数 1回
在任期間 2005年9月12日 - 2009年7月21日
テンプレートを表示

杉村 太蔵(すぎむら たいぞう、1979年〈昭和54年〉8月13日 - )は、日本政治家、お笑いタレント、コメンテーター政治評論家実業家衆議院議員を1期務めた。北海道旭川市出身。株式会社Coco Harete代表取締役社長。

経歴

出生から学生時代まで

北海道旭川市に生まれる。父と祖父は歯科医曾祖父弁護士[1]で、男3兄弟の長男である[1]

1989年 小学校4年生の時から親の影響でテニスを始め[2]北海道札幌藻岩高等学校在学時の1997年(平成9年)に、なみはや国体テニスの少年男子ダブルスで優勝した[3]。1年生の時に大泉洋が教育実習生として同校に来ていた[4]筑波大学体育専門学群にスポーツ推薦で入学し、曾祖父が弁護士であることから在学中は弁護士を目指した[1]。体育専門の学群から法学専攻の第一学群社会学類法学主専攻へ転部を試みるも認められず、司法試験に向けて習練するも6年目で中退した[1]

出馬・政界入り

大学在学中、民主党の鳩山由紀夫事務所[5]、およびキャバクラアルバイトから副店長を務める[6][7][8]をしていた。

筑波大学を中退後、就職活動が上手くいかず、旭川の実家に「もう帰ろうと思う」と弱音を吐いたところ、父に「帰ってくるな。働けないなら死んだほうがいい」と言われて目が覚め、「それぐらいでないと人間は生きていけないと悟った」と後に語っている[9]

その後、派遣社員として[10][11][12]総理大臣官邸の隣りにある山王パークタワーでビル清掃員の仕事(アルバイトとの報道もあり[13])を始める[14]。トイレ掃除等も行っていたが、「自らの仕事に誇りを持ち、汚し方の酷い乱雑な使い方をされる状況にもめげずに清掃を続ける年配の同僚の姿に、職業に貴賤は無いと悟るに至った」と語っている。同僚の年配の人々と親しくなり、のちに選挙事務所を手伝ってくれた人もいた。“とてつもなくピカピカに”磨き、トイレ内で“寝れるってぐらいキレイに”掃除を徹底した[15]。こうした清掃業務の真面目な取り組みぶりを見ていたドイツ証券のグレン・ウッドという人物[12][14]が、ある時、杉村に「ヘイ!シャチョウ!」と声をかけた。最初は馬鹿にされたと思ったものの、交流がはじまり顔馴染みとなる[16]。やがて「キミは若いし、そんなに頭も悪そうじゃない。1週間後、うち(ドイツ証券)の入社試験を是非受けなさい」と誘われ、試験を受けて契約社員として[13][14][17]働くようになった。清掃員の同僚に報告をするといつもは集まらない面々が一堂に会して就職祝いの宴を張ってくれ、新たな門出を祝ってもらったという。ドイツ証券では株式調査部に配属され、当初はお茶汲みや資料集めなどの雑用をしていたという[1]

2年ほど経たある時、グレン・ウッドから「郵政民営化に成功したら株価跳ね上がるから、選挙の動向調べろ」と郵政民営化の動向を調査するように依頼をされ、調査を行っている2005年(平成17年)の自由民主党の公式サイトをみて候補者公募を知り、一次審査の論文課題が自身が調査していた『郵政民営化と構造改革について』であったことから応募した。「上司が言ってること、機関投資家のお客さんが言ってること、大臣が言ってること、ばーっとまとめて最後に“私もそう思う”って書いて送った」、「全部人の言ってることを書いて、“私もそう思う。だから小泉さん頑張ってくれ”って書いた」という[18]。翌日に自民党本部から『すぐ来られますか?』と電話があり、その後5度の面接を経て公募に合格した[19]。元参議院議員で太蔵の「教育係」を勝手に名乗っていた大仁田厚の著書『国会デスマッチ』によると、太蔵の父親は元々北海道で当時自民党幹事長だった武部勤の後援会の有力支持者であるとのことだが、選挙にその父親が出るわけにはいかず息子である太蔵を比例名簿に登載させたことにしたらしい。

郵政解散を受けて行われた2005年(平成17年)9月11日第44回衆議院議員総選挙で、自由民主党福岡県支部連合会から福岡1区出馬の推薦を取り付けたが、党本部が難色を示したため、比例南関東ブロック35位での出馬となった。この総選挙では都市部を中心に自民党が圧勝し、同ブロックの多くの候補者が次々と小選挙区で当選し、順位が繰り上がったことから当選した。当選直後、自分は「ヒラリーマン」(ヒラのサラリーマンという意味の造語)にすぎない旨を述べた[20]。その後もインタビューで「早く料亭に行ってみたい」、「真っ先に調べたのは国会議員の給料。2500万円ですよ」、「念願のBMWが買える」等の自由奔放な発言を連発した[17]

衆議院議員として

当選直後からテレビ取材での様々な発言をして、「料亭、行きてぇ!」「棚からぼた餅という言葉は僕のためにあるような言葉」、「ゆかりタンと僕とでは同じ外資系でも天と地の差ですよ」、「120%小泉チルドレンでございます」、「歩き方も分からないのでキッチリ派閥に入って勉強します、ハイ…」(その後記者から「小泉が新人議員に派閥に入るなと指示」と聞かされ)「…え、総理が派閥に入るなと!? 総理が!? 総理が仰るならその通りだと」等がメディアで話題になった。国会議員としてあまりに軽率な発言が目立ったため、テレビ局の取材中に武部勤(当時の自民党幹事長)から厳重注意を受ける。後に党本部にて単独記者会見を行い、謝罪する結果となった。

選択的夫婦別姓制度導入に反対していた[21]

「新しい風」の入会と退会

議員当選直後から武部に師事して、武部が作った勉強会「新しい風」に入会。同会の『夕張再生プロジェクト』の座長に就任したりその後も参院選の北海道選挙区総決起集会などに参加している[要出典]

しかし、2007年(平成19年)の自民党総裁選で武部が「新しい風」において福田康夫を推すことで纏めたことに対し反発して、「新しい風」を脱会した。総裁選挙では麻生太郎に投票した[22]

公認候補争い

第45回衆議院議員総選挙では北海道1区札幌市中央区・南区・西区)からの小選挙区立候補を表明した。既に自民党の公認申請をしており、公認はまだ決定していなかったが、「いくら若くても、私は現職です。現職には現職の強みがあります。大臣に会おうと思えば会えるんです」「公認するかしないかは党の判断ですが、選挙に出るか出ないかは私の判断です。私は誰が何と言おうと北海道1区から出馬します」と宣言した[23]

候補者選考委員会は、杉村とYOSAKOIソーラン祭りの創始者である長谷川岳の両名に因る演説で、党員の意向を調整しようとしていたが、杉村はそれを無視[24]2007年(平成19年)12月30日、選考委員会が長谷川を公認することを2008年(平成20年)1月8日の役員会で正式決定して、党本部に長谷川の公認申請を行なった。その後も無所属での出馬を模索していたが、最終的に出馬を断念して、2009年(平成21年)6月4日に自民党本部で記者会見を開き、次回総選挙への不出馬を表明した。記者会見では「いずれ一回り二回りも大きくなって、この場に挑戦したい。捲土重来を期したい」とコメントし、機会があれば国政復帰に挑戦したいとの意向を表明した[25]

2009年(平成21年)7月21日衆議院解散に伴い、1期で衆議院議員の任期を終えた。

その後

2010年(平成22年)6月3日たちあがれ日本第22回参議院議員通常選挙の比例代表候補に杉村を擁立すると発表して、同日、杉村は自民党に離党届を提出した[26]が、2010年7月11日投票の結果、党の候補者9人中6位の31,146票で落選した[27]。落選後は、テレビの出演依頼を受けCMやTVバラエティ番組などに出演するようになり、「薄口政治評論家」として、女性国会議員たちのパンチラなどについて解説するようになった[28][信頼性要検証]

芸能人親族生活保護受給騒動では問題提起を行った片山さつき参議院議員に対して、「国会議員として基本的人権の感覚はあるのか? 何故個人攻撃をするのか」「目立ちたかっただけ。河本の実名を出せば自分が有名になれるから」等の批判を行った。これに対して片山は「問題を追及し、法律を変えていくのが私たちの仕事ですから」と理解を求めた[29]

2011年(平成23年)、たちあがれ日本を離党した[30]

2016年(平成28年)、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科後期博士課程に合格し、4月から大学院生となった[31]。2020年(令和2年)3月、単位取得満期退学

自ら会社を設立し社長として経営に携わりながら[32]タレント政治評論家コメンテーターとしてメディア出演も頻繁に行っている。

2022年(令和4年)、自らが社長を務める「株式会社CocoHarete」がプロデュース・運営する飲食店街として、北海道旭川市買物公園沿いに、「旭川 Harete」をオープンさせた。この会社にはグレン・ウッドも関わっており、こうして杉村が清掃員だった頃にグレンが冗談で呼んでいた「ヘイ!シャチョウ!」が現実となった。2024年1月には、山口県下関市唐戸の唐戸商店街に2号店をオープンしている。

人物

自身も所属する小泉チルドレンによる83会について、「あんなの意味あるんですかね」、「学級会みたいじゃないですか[33]」、「おじさん、おばさんの井戸端会議状態」等と発言している。

2007年(平成19年)3月7日の自身のブログで赤ちゃんポストについて、「ここで政治家として国民の生命を守る責務を負った立場から一言申し上げると、どのようなご時世であろうとも、常識ではおよそ考えつかないような、とんでもなく無責任な親は、たとえ数は少なくても絶対数存在する、となると、『産んだはいいけど、育てられない』よって、例えば赤ちゃんをロッカーに入れてしまうだとか、捨ててしまうだとか、そうした胸が張り裂けそうになるような事件が起きているのも事実です。生まれてくる赤ちゃんには何の罪もないのに」と述べている[34]

2007年(平成19年)7月12日の自身のブログにて、赤城徳彦農林水産大臣の「政治とカネ」の問題について、「はっきり申し上げて、いい加減にしていただきたいですね。うんざりで御座います」などと批判した上、領収書を公開すべきだと主張した[35]

2006年(平成18年)頃に公設第2秘書の公募をしてフリーターニートの若者を採用すると見られたが、結局公募に因る採用はしなかった[36]。詳細や本人の会見等は開かれていないが、2008年(平成20年)8月28日に公設秘書の一人が自殺を図り[37]、同年9月11日に死亡した[38]

2009年(平成21年)の衆院選出馬断念のあと、一旦、地元の旭川に戻り、その後政治を学び直すために北米など世界各国を渡り歩き、雇用政策等に関する書籍約150冊を読むなど猛勉強したという[39]

2011年(平成23年)の東日本大震災の発生をうけ、サンデージャポンの番組企画において何度か被災地入りしている[40]

2020年(令和2年)6月9日に都内で行われた小泉純一郎政権時代の自民党幹事長経験者らによる定例の「同窓会」に飛び入り参加した。小泉からは「いいか、今大事なことはお金じゃない。お金より大事なことがある。信頼だ」という言葉をもらったことを明かしている[41]

同年7月29日放送分の『徹子の部屋』に出演した際は、妻に伝えた人生設計を明かした。議員を失職する頃「俺が国会議員だから結婚したんだろ?」と妻に強く当たってしまったが、妻は「そんなわけないでしょ。大体ね、あなたが2回も3回も当選するとは思ってないわよ」と否定し、「ただ、パパだったら食いっぱぐれることはないんじゃないかと。だから結婚したのよ」と妻の言葉を振り返った。また、妻には「テレビの仕事は不安定だが心配するなと。俺たちは250年生きられるぐらい貯めたと。かなり厳しい生活ランクかもしれませんけど、最低限250年生きれるようにはしたぞ」と伝えたことを明かしていた[42]

主張

ニート対策

女性セブン誌上の人生相談において、無職の息子を持つ主婦の相談に「ぐうたらに生きているのなら甘やかしてはいけません。兵糧攻めするぐらいの勢いで、まず食事は作らないこと。さらに厳しく“働かないなら家を出て行ってくれ”ということ。それぐらいしないと気づかないこともありますよ。」などと回答した[43]。また、著書『バカでも資産1億円 「儲け」をつかむ技術』に関する取材の中でも、ニートの中でも単なる怠け者に該当する部類の当事者について「いちばん悪いのは彼らの親です。食べるもの、寝る場所があれば、働かなくても済んでしまうわけです。これは家庭で取り組むべき問題です。親は一切の援助をやめて、子供を社会に放り出すべきです」と述べた[44]

新型コロナウイルスについて

2020年4月26日放送のTBS系「サンデージャポン」で、杉村がコロナウイルス感染による死亡者数300人台は「日本は圧倒的に勝っている」と主張した際、同席した元経産官僚で慶応大学大学院での杉村の指導教員でもあった岸博幸は、「杉村君の大学院指導教官としてもう1回、大学院で勉強し直させます」と言明し、その理由としては「日本は支援策があるのは事実だけれど、つくるのが遅い。日本はアメリカより感染が早く始まったのに、補正予算は成立していない。アメリカは計300兆円ぐらい財政出動しているが、日本は規模も小さい。隣の芝生が青く見えて当然という気がします」とコロナ禍以降の政府対応に注視していることを述べていて、元師弟間で応酬する形になったとメディアで報じられた[45]。 2020年4月27日放送の日本テレビ系『情報ライブ ミヤネ屋』で、MCの宮根誠司に「それじゃ“サンジャポ”で岸さんに怒られるはずだよ!」と一喝される。その理由は日本ではPCR検査による陽性率が下がる傾向にあることに関して一切、杉村太蔵は理解していなかったためであった。

不祥事

ネグレクト疑惑

衆議院議員在職中の2005年群馬県出身の女性(実業家の娘で当時OL)と結婚。子供が3人いる。『SPA!』2007年7月3日号で、自身が担当するコラムにて、新米親としての育児体験談の中に生後2か月の長女を議員宿舎に残して夫妻で1時間程の外食に出た際に、長女が脱水症状を起こしていたことを語った。『女性セブン』は2007年7月19日号でこれを取り上げ、ネグレクトであることを指摘し、脱水症状でショック状態を引き起こせば冗談事では済まされないことになったとも指摘している。杉村は長女の容態について「3ヶ月検診の結果、異常はみられなかった」と自身のブログで釈明している[46]

出演

テレビ

他多数

テレビドラマ

アニメ

ラジオ

  • TBSラジオおトクな春を迎えよう!新生活応援キャンペーン(2014年3月10日 - 3月16日、TBSラジオ) - TBSラジオ新生活応援大使
  • 杉村太蔵のPick up News (毎週月曜日更新中) Himalaya

CM

雑誌

  • SPA!』(2007年2月6日号)にて、かつて司法試験受験生であったと述べたものの、民法刑法の違いを問われしどろもどろになった。受験歴などについては一切触れていない。また、衆議院選挙に初当選直後、司法試験の受験指導を受けていた伊藤塾に赴き、当選を機にもう一度憲法を勉強し直したいと言って憲法の教材を購入した。

著書

  • バカでも資産1億円 「儲け」をつかむ技術(小学館2014年

脚注

  1. ^ a b c d e 岩瀬大輔 (2013年4月18日). “「3つの原則」でつかんだ 社会人1年目のシンデレラ・ストーリー杉村太蔵<前編>” (日本語). ダイヤモンド・オンライン. ダイヤモンド社. 2016年1月18日閲覧。
  2. ^ 杉山記一 (2011年1月25日). “スポーツ対談 杉村太蔵氏” (日本語). 杉山記一のブログ. ココログ. 2016年1月18日閲覧。
  3. ^ “国民体育大会記録集” (PDF) (日本語). 競技記録集. 日本体育協会. p. 483. 2016年1月18日閲覧。
  4. ^ 杉村太蔵、高校時代の教育実習生は「のちに大変有名な俳優さんに…」 共演者驚き(サンケイスポーツ、2023年3月9日)
  5. ^ "言い難い事をテレビでハッキリ言ってみたSP 杉村太蔵は政治家に向いていない! 向いている派の主張". 侃侃諤諤. 14 February 2014. テレビ朝日. 2016年1月18日閲覧
  6. ^ 正確には地元M工務店経営の『スナック』で、当時のつくばにキャバクラは存在しなかった[要出典]
  7. ^ "杉村太蔵vs20名のMC ソレマジか!?ヤバ発言連発 キャバクラの副店長". 20マウス. 4 May 2011. TBSテレビ. 2016年1月18日閲覧
  8. ^ “「政治家」という職業は、ハードルが高いものであってはならない〜杉村太蔵×宇佐美典也対談〜” (日本語). BLOGOS. LINE (2013年1月15日). 2016年1月18日閲覧。[リンク切れ]
  9. ^ “杉村太蔵 25才ニートの母に「メシ作るな、兵糧攻めにしろ」” (日本語). NEWSポストセブン. 小学館 (2012年6月27日). 2016年1月18日閲覧。
  10. ^ “杉村太蔵 東大出るより携帯に5秒で出るほうが出世に繋がる” (日本語). NEWSポストセブン. 小学館 (2015年2月17日). 2016年1月18日閲覧。
  11. ^ “杉村太蔵、有給休暇取って出馬していた” (日本語). デイリースポーツ (神戸新聞社). (2015年12月3日). https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2015/12/03/0008616647.shtml 2016年1月18日閲覧。 
  12. ^ a b “杉村太蔵『世の中で一番怖いのは…』” (日本語). ORICON STYLE. オリコン (2014年10月29日). 2016年1月18日閲覧。
  13. ^ a b “「一生懸命やれば道開ける」 “タイゾー節”熱く披露 香取で杉村さん講演” (日本語). 千葉日報 (千葉日報社). (2014年11月5日). http://www.chibanippo.co.jp/news/local/223303 2016年1月18日閲覧。 
  14. ^ a b c “杉村太蔵「今は無職。あえて肩書きがあるとすれば『杉村太蔵』」” (日本語). 週プレNEWS. 集英社 (2011年10月11日). 2016年1月18日閲覧。
  15. ^ [杉村太蔵「僕、大学中退してるんですよ」時給800円の清掃員から国会議員になった経緯を語る 杉村太蔵「僕、大学中退してるんですよ」時給800円の清掃員から国会議員になった経緯を語る](スポニチアネックス、 2023年5月13日号より)
  16. ^ スポーツニッポン新聞社「スポニチアネックス」 2023年4月19日配信記事より
  17. ^ a b “しくじり続けた杉村太蔵、座右の銘は「うるせぇ」” (日本語). T-SITEニュースエンタメ. T-MEDIAホールディングス (2015年1月19日). 2016年1月18日閲覧。
  18. ^ スポニチアネックス(2023年5月13日号)
  19. ^ "「チルドレン」何を思う" 2012年12月15日付朝日新聞夕刊(大阪本社3版)8面
  20. ^ “国会議員の報酬。ホントはどれくらい? 元衆議院議員、杉村太蔵氏の場合。”. Techinsight. (2011年2月27日). https://japan.techinsight.jp/2011/02/sugimuratiazou-giinhousyuu.html 2015年2月19日閲覧。 
  21. ^ 読売新聞2010年参院選 各党候補者アンケート
  22. ^ “太蔵議員「戦う姿勢に共感」麻生氏に投票”. 日刊スポーツ. (2007年9月24日). オリジナルの2007年11月30日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20071130124008/http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20070924-260518.html 2016年1月18日閲覧。 
  23. ^ “太蔵出馬へ強行突破宣言「出るかは私の判断!」”. 夕刊フジ. (2007年12月12日). オリジナルの2008年5月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080526082610/http://www.zakzak.co.jp/top/2007_12/t2007121202_all.html 2016年1月18日閲覧。 
  24. ^ 『太蔵氏、討論会リタイアへ…「自民党公認」事実上消滅』 スポーツ報知、2007年12月15日。
  25. ^ “タイゾー議員、出馬断念 「大きくなってまた挑戦したい」”. 産経新聞. (2009年6月4日). オリジナルの2009年6月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090607075923/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090604/stt0906041759007-n1.htm 2016年1月18日閲覧。 
  26. ^ “たちあがれ日本、杉村太蔵氏を比例選に擁立”. 読売新聞 (2010年6月3日). 2011年1月14日閲覧。
  27. ^ “2010参院選”. 毎日新聞 (2010年7月). 2011年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月18日閲覧。
  28. ^ 「小池百合子も蓮舫もパンチラが凄い」 杉村太蔵の余りにひどい下劣発言 J-CASTニュース 2012年6月11日
  29. ^ 片山さつき議員 杉村太蔵の批判にも冷静「問題を追及するのが仕事」 スポーツニッポン 2012年6月3日
  30. ^ “よくある質問”. たちあがれ日本. 2012年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月18日閲覧。
  31. ^ “杉村太蔵、4月から大学院生に 2年前から挑戦”. ORICON STYLE (2016年2月21日). 2016年2月22日閲覧。
  32. ^ “杉村太蔵センセー、華麗なる転身!「バカでも資産1億円」”. 産経新聞 (2014年9月24日). 2017年10月14日閲覧。
  33. ^ 杉村太蔵 (2006年2月2日). “それにしても83会。”. 杉村太蔵ブログ. 2006年2月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月27日閲覧。
  34. ^ 杉村太蔵 (2007年3月7日). “赤ちゃんポストについて”. 杉村太蔵ブログ. 2007年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月27日閲覧。
  35. ^ 杉村太蔵 (2007年7月12日). “政治とカネについて”. 杉村太蔵ブログ. 2007年8月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月27日閲覧。
  36. ^ 団塊ジュニア世代の男性のフリーター・ニートの若者を秘書に採用か、又は美人の若い女性採用かと週刊誌で報道された。小論文→面接に因る採用方法だった。
  37. ^ “杉村太蔵議員の秘書が自殺未遂”. 産経新聞. (2008年8月28日). オリジナルの2009年1月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090129204053/http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080828/crm0808281211009-n1.htm 2016年1月18日閲覧。 
  38. ^ “重体だった杉村太蔵議員の秘書死亡”. 日刊スポーツ. (2008年9月11日). オリジナルの2015年6月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150608193422/http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20080911-407290.html 2016年1月18日閲覧。 
  39. ^ “太蔵候補、大変心!?丸刈り頭で演説冒頭は謝罪”. スポーツ報知. (2010年7月4日). オリジナルの2010年7月8日時点におけるアーカイブ。. https://megalodon.jp/2010-0708-0821-18/hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20100704-OHT1T00080.htm 2016年1月18日閲覧。 
  40. ^ “政治&タレントどっちつかず 「杉村太蔵」今後の身の振り方”. J-CASTニュース (2011年6月12日). 2011年9月20日閲覧。
  41. ^ 杉村太蔵、小泉純一郎元首相から金言「今大事なことはお金じゃない。信頼だ」 スポーツ報知 2020年7月29日配信 2021年5月24日閲覧
  42. ^ 杉村太蔵「250年生きられるぐらい貯めた」妻に伝えた人生設計明かす サンスポ 2020/07/29 17:20 (2021年9月14日閲覧)
  43. ^ 杉村太蔵 25才ニートの母に「メシ作るな、兵糧攻めにしろ」2012年6月27日 NEWSポストセブン
  44. ^ 杉村太蔵 ニート問題に熱く持論「親が社会に放り出せ」2014年10月13日NEWSポストセブン
  45. ^ 「杉村君、間違っている」岸博幸さんが“教え子”杉村太蔵の「日本が勝っている」発言を真っ向否定 中日スポーツ 2020年4月26日
  46. ^ 杉村太蔵 (2007年7月5日). “娘の三か月検診がありました”. 杉村太蔵ブログ. 2007年8月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月27日閲覧。
  47. ^ “すみれ 新CMで杉村太蔵を成敗”. デイリースポーツ. (2016年5月2日). https://www.daily.co.jp/gossip/2016/05/02/0009043667.shtml 2016年5月2日閲覧。 

関連項目

外部リンク

  • 杉村太蔵公式サイト
  • バカでも資産1億円 「儲け」をつかむ技術
名誉職
先代
寺田学
最年少衆議院議員
2005年 - 2006年
次代
太田和美
最年少衆議院議員
帝国議会
  1. 天野為之1890-1891
  2. 加賀美嘉兵衛1892-1893
  3. 林喬1894
  4. 河北勘七1894-1897
  5. 荻野六郎1897
  6. 西野久右衛門1898
  7. 花井卓蔵1898-1902
  8. 木本源吉1902
  9. 安井丈夫1903
  10. 近江谷栄次1904-1908
  11. 鈴木久五郎1908-1912
  12. 堀切善兵衛1912-1914
  13. 長沢倉吉1915-1917
  14. 松田三徳1917-1920
  15. 上塚司1920-1924
  16. 窪井義道1924
  17. 佐々木長治1924-1927
  18. 横川重次1927-1928
  19. 水谷長三郎1928-1930
  20. 坂本一角1930-1932
  21. 葉梨新五郎1932-1936
  22. 内藤久一郎1936-1937
  23. 三木武夫1937-1942
  24. 福家俊一1942-1943
  25. 森田正義1943-1944
  26. 浜田尚友1944-1945
  27. 森田正義1945
  28. 浜田尚友1945
  29. 福家俊一1945
  30. 三木キヨ子1946-1947
国会
  1. 織田正信1947-1949
  2. 天野公義1949-1952
  3. 辻原弘市1952-1955
  4. 石橋政嗣1955-1958
  5. 谷川和穂1958-1960
  6. 海部俊樹1960-1963
  7. 橋本龍太郎1963-1967
  8. 山口敏夫1967-1969
  9. 小沢一郎1969-1972
  10. 上田茂行1972-1976
  11. 中村喜四郎1976-1979
  12. 船田元1979-1986
  13. 石破茂1986-1990
  14. 赤城徳彦1990-1993
  15. 宇佐美登1993-1996
  16. 古川元久1996-2000
  17. 原陽子2000-2003
  18. 寺田学2003-2005
  19. 杉村太蔵2005-2006
  20. 太田和美2006-2009
  21. 松岡広隆2009-2012
  22. 今枝宗一郎2012-2013
  23. 鈴木貴子2013-2021
  24. 馬場雄基2021-現在
第41回
(定数23)
自由民主党
新進党
民主党
日本共産党
社会民主党
第42回
(定数21)
民主党
自由民主党
公明党
自由党
日本共産党
社会民主党
第43回
(定数22)
民主党
自由民主党
公明党
日本共産党
社会民主党
第44回
(定数22)
自由民主党
民主党
公明党
日本共産党
社会民主党
第45回
(定数22)
民主党
自由民主党
公明党
みんなの党
日本共産党
第46回
(定数22)
自由民主党
日本維新の会
民主党
みんなの党
公明党
日本共産党
第47回
(定数22)
自由民主党
民主党
維新の党
公明党
日本共産党
第48回
(定数22)
自由民主党
立憲民主党
希望の党
公明党
日本共産党
日本維新の会
第49回
(定数22)
自由民主党
立憲民主党
日本維新の会
公明党
日本共産党
国民民主党
れいわ新選組
↓:途中辞職、失職など、↑:繰り上げ当選
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • VIAF
国立図書館
  • 日本