牧島

曖昧さ回避 熊本県にある島については「牧島 (熊本県)」を、長崎県にある島については「牧島 (長崎県)」をご覧ください。

牧島(まきしま)は、佐賀県伊万里市伊万里湾沿いにある地域である。カブトガニ産卵地として有名な多々良海岸がある。

多々良海岸沿いから見た牧島山

地理

伊万里市街から波多津町を通る国道204号沿いにある地域で、近年では対岸の山代町を繋ぐ伊万里湾大橋が開通し、交通量の増加に伴いバイパスが開通した。伊万里湾に接しており、多々良海岸沿いには木須川が流れ込んでいる。また水田が広がる平地でその多くは干拓地である。

  • 山岳:牧島山
  • 河川:木須川、矢竹川

人口

男性 女性 合計数 世帯数
2010年1月 733人 814人 1547人 563世帯
2009年1月 747人 837人 1584人 573世帯
2007年1月 741人 836人 1577人 555世帯
2006年1月 754人 863人 1617人 552世帯
2005年1月 774人 880人 1654人 554世帯

※伊万里市人口統計表より引用

歴史

もと「楠久嶋」と呼ばれ、対岸の山代郷楠久津に属していた。1622年(元和8年)ごろ、佐賀藩の御用馬を育てる牧場が設けられた。牧島は「楠久御牧場」と呼ばれ、牧奉行は初代皿山代官となった山本神右衛門だった。「牧」があった「嶋」なので「牧嶋(牧島)」と呼ばれるようになった。

牧嶋の東には、早里崎との間に「瀬戸(せまい海峡)」があったが、江戸時代の中期に、塩田や水田をつくるために干拓されて陸つづきになった。1812年(文化9年)に測量に訪れた伊能忠敬は、『測量日記』の中で「牧嶋、旧は離島なり」と書いている。明治時代になって牧場もなくなり、楠久津の内としておくのも不便なので、伊万里郷へ所属替えになった。

1889年明治22年)、市町村制の施工によって「木須村」「瀬戸村」「脇田村」「松島村」が合併し「牧島村」となった。村名は、初代村長の川副綱隆の提案によるものといわれている。

その後、牧島村は1928年昭和3年)、伊万里町と合併した。1954年(昭和29年)に伊万里市牧島地区になり、現在の行政区には、木須西、本瀬戸、中通、早里、漁港、釘島がある。

1915年大正4年)まで塩田で製塩が行われ、明治時代以降の干拓によって、木須新田や川副新田などの広大な農地がひろがった。また、2003年平成15年)3月9日に、対岸にある山代町を結ぶ伊万里湾大橋が開通した。

交通

  • バス路線 西肥自動車(伊万里〜福島港・古場線)
  • 最寄のバス停:木須・木須崎・本瀬戸・早里・新道入口・築港入

道路

  • 一般国道:国道204号

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

出身の有名人

  • 白竜 - 俳優、歌手

関連項目