貞聖王后

貞聖王后
정성왕후
朝鮮王妃
別称号 惠敬莊愼康宣恭翼仁徽昭獻元烈端穆章和貞聖王后(諡号)

出生 康熙31年12月27日(1693年1月12日
死去 乾隆22年3月26日(1757年4月3日
配偶者 英祖
子女 なし
氏族 達城徐氏[1]または大丘徐氏[2]
父親 達城府院君 徐宗悌(朝鮮語版)
母親 岑城府夫人
サイン
テンプレートを表示
貞聖王后
各種表記
ハングル 정성왕후
漢字 貞聖王后
発音: チョンソンワンフ
日本語読み: ていせいおうこう
ローマ字 Queen Jeongseong
テンプレートを表示

貞聖王后 徐氏(ていせいおうこう じょし/チョンソンワンフ ソシ、정성왕후 서씨Queen Jeongseong1693年1月12日-1757年4月3日)は李氏朝鮮第21代王・英祖の正室

生涯

1692年、達城府院君徐宗悌(朝鮮語版)と岑城府夫人 李氏の間に生まれる[3]1704年、延礽君と婚礼をあげ、達城府夫人に封じられた。

1721年に延礽君が王世弟に冊封されると、彼女は王世弟嬪となった。1724年、延礽君が英祖として即位すると、王妃に冊立された。自身には子がいなかったことから、英祖の後宮の一人だった暎嬪李氏の息子である荘献世子を実子のように、可愛がった。

1757年昌徳宮(チャンドックン)大造殿にて、64歳で薨去した[4]。彼女は温厚で寛大な性格でもあった。御陵は弘陵。

家族

  • 父: 達城府院君 徐宗悌(1656年-1719年)- 領議政追贈された。
  • 母: 岑城府夫人 牛峰李氏(朝鮮語版)(1660年-1738年)
  • 兄: 徐命伯(1678年-1733年)- 吏曹判書を追贈された。
    • 甥: 徐徳修(朝鮮語版)(1694年-1722年)- 辛壬士禍で処刑された。
  • 夫: 英祖
  • 子: なし

脚注

  1. ^ “서종제(徐宗悌)” (朝鮮語). 韓国民族文化大百科事典. 2024年2月9日閲覧。
  2. ^ “정성왕후(貞聖王后)” (朝鮮語). 韓国民族文化大百科事典. 2024年2月9日閲覧。
  3. ^ 朝鮮王朝実録 - アーカイブ
  4. ^ 貞聖王后 - アーカイブ

登場作品

映画
テレビドラマ


先代
宣懿王后
朝鮮王妃
在位:1724年 - 1757年
次代
貞純王后
  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、王室王族に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:歴史/P:人物伝/PJ:歴史/PJ:人物伝)。

  • 表示
  • 編集
太極旗朝鮮王妃朝鮮国章
朝鮮
王妃
追尊王后
大韓帝国
皇后
追尊皇后
一覧