KEIRINグランプリ01 平塚競輪場・GP |
レース詳細 |
開催日 | 2001年12月30日(日) |
レース結果 |
| 優勝 | 伏見俊昭 | (福島) |
| 2位 | 山田裕仁 | (岐阜) |
| 3位 | 稲村成浩 | (群馬) |
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KEIRINグランプリ01(けいりんぐらんぷりぜろわん)は、2001年12月30日<日>に平塚競輪場(神奈川県平塚市)で開催されたKEIRINグランプリである。優勝賞金7000万円[1]。
出場選手
競走内容
[3]
競走結果
配当金額
車番二連勝単式 | 5-2 | 6,400円 |
三連勝単式 | 5-2-8 | 85,040円 |
エピソード
- 当年より競輪にもグレード制が導入され、KEIRINグランプリは、グレード制の頂点を意味する、『GP』格付けとなった。当レースはその元年である。またこの前年までの開催西暦年の下2桁は日本語読み(例・1999年なら「きゅうじゅうきゅう」。2000年だけ例外で4桁の「にせん」)であったが、この年から開催西暦年下2桁は記事冒頭にも書いたとおり、英語読みになった。
- 当年11月下旬より、三連勝単式(三連単)投票券が導入された他、従来より発売されている車番二連勝単式(車単)、枠番二連勝複式(枠複)の各賭式に加え、枠番二連勝単式(枠単)、車番二連勝複式(車複)、三連勝複式(三連複)、ワイド(拡大二連勝複式)の各種投票券も発売されることになり、当レースも以上7賭式の発売が実施された。但し、当レースの車単、枠複以外の賭式が発売されている競輪場(場間場外発売)、専用場外は、平塚競輪場を含めても、ごく限られていた。
- GP単独の売上は、82億9995万0400円[6](本場21億6993万2500円、場外61億3001万7900円[7])。目標の90億円には、届かなかった。
- シリーズ全体の目標額は180億円だったが、シリーズ三日間の売り上げは181億3106万8800円と目標を上回った。
競走データ
- 1984年の競輪祭より使用されてきたユニフォームを着用して行われた、最後のグランプリとなった。
- 小橋正義は岡山、新潟の両登録地所属でグランプリ出場を果たした。複数の登録地でグランプリ出場を果たした最初の事例である。
- 今回で神山雄一郎のGP連続出場(11回)が途絶えた(3年後に再出場)。
- 優勝の伏見俊昭は、当年9月にオールスター競輪(岐阜競輪場)を制した1週間後、ベルギー、アントウェルペンで開催された世界自転車選手権・ケイリンの予選で落車し、鎖骨を骨折。一時は当レース出場が危ぶまれたが、幸いにも回復が早かったことと、リハビリを兼ねたトレーニングの効果が出て、史上4人目となる、初出場初優勝(第1回を除く)を果たした。また、坂本勉(1990年)と太田真一(1999年)に続く、3例目の「逃げ」の決まり手による優勝だった。
脚注
[脚注の使い方]
注釈
出典
- ^ 伏見 涙涙涙V (アーカイブ)
- ^ 『KEIRINグランプリ01【GP】』出場予定選手の決定について 競輪らんど KEIRIN NEWS(広報)
- ^ 2001年特別競輪・決勝プレイバック 日刊スポーツ
- ^ KEIRINグランプリ01前夜祭
- ^ KEIRINグランプリドキュメント 平塚競輪場
- ^ 2014年版 競輪年間記録集 p.67
- ^ 第4編「経済」 第7章 公営事業 - 平塚市
関連項目
外部リンク
- KEIRIN.JPの公式記録
- 競輪らんど グランプリ01共同記者会見